前回の続き

投稿日:2020/05/03

うそぉ--------------------------っ(*_*)

前回のブログ書いてて長くなりすぎたと思って途中からの文章をこのページにコピペしたはずなのに、、何度開いても、、、ない😢😢😢

しょっぱなからやらかしました。。。

これも神から与えられた試練なんでしょうか?(-_-;)

 

さて、気を取り直して!

前回は、転職を繰り返していた自分がなんとか大工という職業に出逢い「これぞ天職やー!」って思ったってまでの生い立ちでした。

で、それから。

 

楽しいと言うものの、そこはやはりザ・職人の世界。

白い物でも黒と言われれば黒、理不尽な事を言われてもグッと我慢の日々。

23歳で大工になるっていうのは業界的にかなり遅めです。親が大工なら早い人では中学生、高校生から親に現場に連れていかれ手伝いしながら少しずつ仕事を憶えていきます。

普通でも18~20歳には大工になってますねぇ。昔なら15,16歳から丁稚奉公の世界ですから。

自分が入った工務店には、当時3人の親方衆がいました。考え方も仕事のやり方も違う3人の親方の現場をたらい回しにされながら少しずつ仕事を憶えていきました。

現場で親方や業者さんと一緒に一服していると「なに一人前の大工みたいに一服しとれん!お前はまだ大工じゃねえんやぞ、大八‼ 一服しとらんと鑿研いどけ!」や、仕事してても「いつまでそんなことしとれん!そんなことも出来んのか!チンタラしとんな大八!」なんて言われること数々、、、年齢的に遅いって自覚はあったので朝早く現場に行って鑿研ぎしたり夜一人残って仕事したりして早く仕事覚えたいって思ってやってましたねぇ。

でも、1人の親方は仕事終わりに一緒に残ってくれて一升瓶を抱えながら和室の廻縁や長押の細工を教えてくれたりもしました。大工の親方!って感じでしょ?良い思い出です(´∀`*)

子方時代の一番ショックだった出来事は、

今は当たり前に構造材はプレカット工場で加工され製品を建て方で組み上げていきますが、当時はそんな工場はなく、一棟仕上げたら1~2か月間大工小屋で親方が墨付けして子方が刻むと言う事が当たり前でした。

墨付けというのは木材(土台・柱・桁・梁・束・母屋など)に長さや仕口・継手の加工はどのようにしてどう組むなど1本1本の木材を加工する為の線を引き絵を描く事(墨差し・墨壺・尺竿・差し金などを使う)、刻みとは墨付けした木材をその墨通りに鑿や鋸や鉋、電動工具を使って加工していく事です。

自分がいた工務店では社長(元大工)が木組み(どんな大きさの木材を使ってどう組むか書いたを図面)を書き、親方がそれを見て墨付けをして子方が刻むという流れでした。

この大工小屋での期間で子方は鑿や鉋を研ぎ、仕口や継手の加工を覚え、刻みながら墨付けを覚え、家の構造を理解していきます。

刻むのも墨を残すか落とすかで建て方で木材を組むときの硬さが変わり、きつ過ぎても甘過ぎても怒られます、、、。初めはスッと入ってカケヤで数発叩いて納まるのが理想です!

ですが残念な事に時代の流れですが、プレカットが主流になりこの工程が今ではほぼなくなってしまいました😢

今の若い大工さん達はかわいそうです😢😢

自分で木組みを書いて墨付けして刻んだ家が建つ!それが大工の醍醐味の一つ、それが出来て棟梁なんですよね!

って偉そうに言えるほどの経験もしてませんが (^^;

まだその時代に大工の修行が出来て自分は幸せだったと今となれば思います。

 

上が墨付けする時に使う墨壺・墨差し・差し金(墨壺・差し金はずーっと使ってませんが、、)

下が木組み図面、昔はこんなの一枚ベニヤ板に張り付けて墨付けしたり刻むときの確認とかしてました。この一枚で家建ててたんですよねー( ´∀` )

 

ずいぶんと話がそれました。。。

って事で、ショックだった事はまた次回と言う事で。

今回も読んでいただきありがとうございました!

 

 

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